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ジショの話/ゆら [◆日記・雑感]

私はジショが好きです。辞書、字書、それから辞典、字典、事典等々、そういう類の本が好きです。
好きとは言っても、辞書を頭から全部読んでいくわけではないです。
気になる所を引いて、ぱらぱらと眺める程度の好き、なのですが。
学校で学ぶ上で必要な辞書の他に、趣味で気になる辞書が有れば、何をするわけでもないのについ購入してしまいます。
最近は電子化が進んで、なんだかコンパクトなサイズで辞書が十何冊分も収納されている電子辞書も発売されているようですね。電子辞書は確かに軽くてどこにでも持っていけて便利ですが、なんだか味気ないなぁとも思ってしまいます。
検索語に一発でたどり着けるのは電子辞書ならではの長所ですけれども、目的の項を引くついでに目的の周囲の言葉や、ぱらぱらとページをめくってる時に目に付いた興味を引く言葉について読んで楽しむ、ということが電子辞書では出来ないなぁ、と。
未だに電子辞書の類は持ってないのですが(持ち歩く為に欲しいと思っているのですが)、家などで使う辞書は紙の方がいいなあ、と考えるのは古いのでしょうかね(^^;

話は変わりまして、中学生の頃、どうしても漢和辞典が欲しくて、母親にねだって買って貰ったのが、辞書に興味を持った最初だったのではないかと思います。
動機は…当初、小説を書くためでした(はずかし)。その時は自分の求める情報について国語事典では限界を感じたので。
で、当時の私はやや中国に傾倒し気味であったために、漢和辞典自体にはまってしまい、しばらく学校に行くにも(使わないのに)持ち運んでいました。重いのにご苦労なことです。
そして高校の時、とある本で『五體字類』という字書に諸葛亮の筆跡が掲載されていることを知り、当時非常に諸葛亮びいきであった私は、当然その本を求めました。
が、近所の本屋で探してみても見つかりません。そこで当時部活で所属していた書道の先生にどのような本であるかを質問しました。
すると先生は一瞬きょとんとした顔をして、私の背後を指さしました。
「そこに積んであるじゃないか」と。
振り返ると、そこには授業で篆刻するさいに教材として既に使った本が生徒一人に一冊で1クラス分、約50冊ほど積み上げられていました。つまりそれが『五體字類』だったのです。というかつくづくまぬけさを露呈して生きてきたんだなぁ…。
しかし、とにかくこの本では萌えました。
ああ、この人はこんな筆跡をしていたんだ、と。名のある書家や、有名な碑ならいろいろ拓本が残ったり、目にする機会は多いですが、それ以外ではあまり見たことはありませんでした。
それがですね、この字書のなかには、諸葛亮、魏武帝、曹植、鍾ヨウ、蔡エン等の三国時代の人がざくざくと!(もちろん、他の時代の人もまんべんなくいます)
目当ての人の字を眺めてはしばらくにやにやして楽しむわけです。
確かにこの字を書いた瞬間があったんだなぁ、その字を今私が見てるんだなぁ、と。
……間違いなくこの字書を作った方の意図とは違った使い方をしていますが。

他にも、台湾のドラマ(懐玉公主)の康煕帝にはまった時に勢いで買った『康煕字典』やら(眺めてニヤニヤしていました)、何かネタに出来るかも、と思って買った『中国歴代職官辞典』やら、本来の使用方法とは違う動機でもって、我が家の辞書はたまに増えていきます。
ちなみに、数年前から欲しいのは大修館書店の『大漢和辞典』ですが、置き場と金欠の為に今持って買う目処が立ちません…。だって価格は252,000円、巻数は15巻ですから、百科事典並みですよね…。古本ででもいつか入手したい書籍の一つですが…。

長くなりましたが、なんていうか辞書の話というか、結局萌え話?
辞書はお勉強に使うだけじゃないんだよ、ということで(笑)。